しあわせな距離感こんにちは。お久しぶりです。「超ゆるゆる多読」実践中、アッポこと札幌の魚住です。札幌市中央図書館で「大人のための英語の絵本読み聞かせ会」を月1回開催している「おおきな木」の代表をしています。 距離 やっと、世の中が動き出してきましたね。世の中が「ソーシャル・ディスタンス」に翻弄されたコロナ禍、2022年春にやっと再開できた私達の読み聞かせ会も例外ではなく…。客席の椅子を1.5〜2m間隔で並べると、広い講堂でも30脚が限界。読み手と客席との距離も十分過ぎるくらいに取り、一番近いところでも4、5m離れています。遠い席は遥か向こう。その上、読み手はマスクをした上でパーティションの影からマイクを使って読むという状態でした。何だろう、とにかく、遠い・・・。きっとお客様も同じように感じてきたことでしょう。感染防止対策に関してはメンバー間でも考え方は様々で、「不安な人は来ないのだから、そこまでしなくても」という意見もあれば、「安心して来ていただくためにはそれでも足りない」という意見もあって、どうしても慎重な意見に寄せることになります。公共施設である図書館という場所によるいろいろ制約もありました。物理的な距離だけではなく、お客様と気持ちが通いにくい距離感、そしてメンバー間の意見の距離感にも頭を悩ませる日々。代表として力不足を感じる・・・・・・う〜〜〜ん・・・でも!できないことはできない。それを不幸に感じていたら、楽しいことに目が向かなくなって、しあわせな読み聞かせ会などできるはずがない!できることをしよう!薄い空気を和ませるために、メンバーからいろいろなアイディアが出てきました。・大きく映せるスクリーンはむしろコロナ前はなかったメリット!小さい絵本も読む。・複数の絵本を使って(スクリーンに映すのではなく)客席のそばで開く。・絵を隅々まで見てもらって深読みを楽しむ時間を作る。・クイズやなぞなぞを入れる。・小道具を使う。そして何より、マスクからはみ出るような笑顔で、明るいトーンの声で、元気に読み続けました。物理的な距離が何メートルということだけではなく、ちょっとした工夫のあれこれが、そしてホスピタリティーが、距離感を縮めたと思います。お客様は減るどころか徐々に増え、毎月のように来てくださるリピーターの方も。しあわせは増幅、いや「増福」する? そして、やっと、 やっと、やっと、やっと、何とか乗り越えつつある今。慎重だったメンバーも、一歩、また一歩と距離を縮めることに賛成してくれました。というわけで、最近「解禁」したこと。2023.06.06 23:00
おしゃべりな「読み聞かせ会」へこんにちは。「超ゆるゆる多読」実践中、アッポこと札幌の魚住です。札幌で「大人のための英語の絵本読み聞かせ会」というイベントを22年やっている、おおきな木というサークルの代表をしています。代表と言っても3代目で、設立当初のことはよくわかりません。図書館を拠点とする、しかも「大人」「絵本」「英語」という珍しい取り組みですし、きっと、ものすごいエネルギーを費やしてこの会を立ち上げたことでしょう。今でもこうして読み聞かせ会が続けられているのは、初期のメンバーが活動の土台を築いてくれたからだなぁとしみじみ思います。変えてきたこと と同時に、変わってきたこと、変えてきたこともたくさんあります。その一つは、読む前に日本語でたっぷりと解説するようになったこと。絵本の面白さの一つは、何度読んでも、隅から隅まで絵を見ても、毎回気づきがあるということ。でも、ほとんどのお客様にとっては初見です。いくら「絵を隅々まで見て…」と言っても限界がありますし、大人ですから、英語を聞き漏らさないようにしようとか、字を目で追おうとしてしまいます。そこで、気楽に絵に目が向くように、読む前に大方のあらすじは話してしまいますし、絵の見どころ、作者や作品の背景などをお話しすることもあります。パワーポイントを使うこともあれば、小道具が登場することもあります。ただの解説にならないよう、絵本がより面白くなるように工夫しています。それでも、ずっと気になっていた感想がありました。毎回のように、耳にする言葉。「オチがわからなかった」 「前トーク」をたっぷり…とは言っても、たいていはオチまでは言いません。読み終わった後は、余韻を大切にしたい気持ちもあり、「余計なことは言わない」という長年の伝統(?)もありました。でも、最後のページに書かれていることが絵だけではわからない場合が多いのも事実。お客様の中に残ったもやもやが漂います。コロナ前は、オリジナルの英語絵本と翻訳本並べて展示し、終わった後に実際に手に取ってもらったり、メンバーが質問に答えたりする交流の時間を取っていました。残ってくれた方とは、「そういうことね〜」とお話しするのも楽しいものでした。「オチ」問題もそこで解決されることもありました。ところが、コロナ禍では、展示もやめ、おしゃべりの時間も積極的には取れず・・・ おしゃべりを目指して 今年9月、メンバーに急な欠席があり、プログラムの本を1冊読めなくなりました。その時間を有効利用すべく、ある絵本を読んだ後に、「おまけの深掘りタイム」的にあれこれお話ししたところ、より深く楽しめたと好評をいただけました。絵本は、たまたま、その後Willy-Nilly第1回でも取り上げた、”Rosie’s Walk”です。2022.12.20 06:04
大人達の絵本あそびこんにちは。「超ゆるゆる多読」実践中、札幌の魚住です。大人のための 英語の絵本 読み聞かせ会 絵本は、子ども達ばかりではなく大人も虜にしますが、私自身、その虜のひとりです。20年近く前、札幌市中央図書館で読み聞かせをしているボランティアサークルに入り、2012年からは代表を務めています。「大人のための 英語の絵本 読み聞かせ会」を開催する「おおきな木」です。設立は2000年。それ以来ほぼ毎月、図書館で1時間ほどの読み聞かせ会を行なってきました。さほど広くない研修室に椅子をびっしり並べ、20〜30名のお客様と絵本やマザーグースなどを楽しんできましたが、この2年間はコロナ禍で休止しています。もちろん、その間何もしていなかった訳ではなく、15名ほどのメンバー間で絵本を紹介し合ったり、オンライン勉強会のようなこともしていました。「開催できるようになったら、この本読みたいね」そんな言葉にもしだいに力がこもらなくなり、もう元の方法では読み聞かせ会は開催できないのだという現実が見えてきました。2022.02.21 07:09
「おもしろかった」こんにちは。「超ゆるゆる多読」実践中、札幌の魚住です。最近、久々に少しまともな長さの児童書を読みました。45,000語くらいのようですが、私にとっては十分です ^^;;読み終えて、「あぁ〜、おもしろかった」と満足感に浸っていたのですが、その後、ふと不安になりました。何せ、読書サポートをしていると言いながら読書習慣がなく、易しい本ばかり読んでいる私。30,000語を超えるような本は半年に1冊くらいしか読んでいないので、自分の感覚が「おもしろかった」なのか、「完読できて嬉しい」なのか、よくわからなかったのです。おもしろい = 達成感 でもいいんじゃない?小学生の子ども達には、基本的に読み聞かせ、もしくは、クラスみんなで同じ文章を私がちょっとアシストしながら一緒に読む、ということしかしていません。読書記録として、評価と感想も一応書いてもらうのですが、低学年の男子におもしろい傾向があります。絵の中に何か発見をしたり、おもしろい事に気づいたり、オチを言い当てちゃったり、何かしらの「成功体験」があると評価が高いのです。小学生にオチを言い当てられるなんて、ストーリー展開としてはシンプルでつまらなかったかな…と思いきや、☆がたくさん付いていたりするのです。逆に、他の子に発見の先を越されたりしてちょっと悔しい思いをした子が、ストーリーには思いきり笑っていたのに、これ見よがしに「0点」と書いたりするのです(笑)小学生、特に低学年、特に男子にとっての「おもしろい」は、時に満足感、達成感と密接な関係があるのかもしれません。10年近く前、低学年5人のクラスで、“Brown Bear, Brown Bear, What Do You See?” (Bill Martin, Jr. 文/Eric Carle 絵) を読んだことがありました。とても気に入ってくれて、翌週もまた読んでと言うので、「じゃあ、次の動物何だか覚えてる?」などと当てっこしながら読み、さらに翌週にはすっかり文を覚えてしまって(文字は読めないのに)大合唱になり・・・ということがありました。みんなこの絵本が大好きで、その後も2、3週一緒に声に出して読むうち、音に合わせて文字を追える子も出てきました。その頃は、読み聞かせした本の読書記録はつけてもらっていなかったので、評価も感想も聞きませんでしたが、不思議な盛り上がりでした。(実際、この絵本がそこまでウケたのはこのクラスくらいでした 笑)「おもしろい」は誰が決めるの?それから数年したある時、ある先生が、この “Brown Bear, Brown Bear, What Do You See?” は「つまらない絵本」なので読まないとおっしゃったことがありました。単調な繰り返しと、いかにも色や動物の名前を教えたいという雰囲気がつまらないとのことでした。たしかに、その先生のおっしゃることは、ある意味わからないでもありません ^^;; でも、あのクラスの子達は、確かに楽しんでいました。その時、ふと、あの子達は、「すっかり覚えて言えたのが嬉しい」「読めた(ような気がした)のが嬉しい」という満足感、達成感で、さらにはみんなで大合唱して楽しめたことで、あの絵本が大好きだったのかもしれない、と思いました。だったら、それでもいいんじゃないかな、と思ったのです。評価も感想も聞きませんでしたが、あの絵本はあの子達にとっては十分満足できる「おもしろい絵本」だったということなのです。絵本がおもしろいかどうか、いい絵本かどうか、いろいろな視点から評価されると思います。先生自身が好きかどうかももちろん大事です。でも、子ども達にとって絵本との出会いは、絵本そのものというより、心理的な満足感、達成感、その他にも様々な偶発的な要因が絡み合った「体験」なのだと思います。それは、読み聞かせではなく、自分で読むようになっても同じことですよね。どうやら私も答えが見つかったようです。私が「おもしろかった」なら、それでいいということ...ですね。2021.10.03 13:00
楽しさと安心感こんにちは。「超ゆるゆる多読」実践中、札幌の魚住です。私はしかけ絵本が大好きです。単純に好きです♪ ^^Robert Sabudaに代表されるような大掛かりなPop-upから、Where’s Spot?のようなシンプルなflip-flapタイプ、あちこち動かせるおもちゃのようなボードブック、穴が空いていたりダイカットになっているだけのものまで、それぞれの魅力があり、何度開いてもわくわくしてしまいます。本棚のあちこちにあるので数えられませんが、かなりの数を持っていると思います。平面であるはずのページから三次元に飛び出したり動いたりするのですから、動くものは全て動かしたくなりますし、めくれる所はすべてめくってみたくなります。わかっていてもだまされるマジックのようだったり、予想を越えられる心地よい敗北感だったり、隠れているものが出てくる「いないいないばぁ」的な楽しさだったり、私にとってしかけ絵本は、作者の「遊び心」をストレートに受け止められる存在です。いないいないばぁうちの教室では、小学生(特に低学年)には読み聞かせのみです。子ども達は、大人がわぁーっ♡と思う複雑で美しいもの、芸術的なものにはあまり興味はありません。むしろ、しかけが単純でも、少し予測できるくらいの方が安心して何度も楽しめるようです。先ほど、「いないいないばぁ」的な楽しさと書きました。赤ちゃんにとっての「いないいないばぁ」と同じで、幼い子ども達は、予測したり、記憶したりした上で、それが当たった、違った、ということをとても面白がります。低学年なら、めくりをめくった時に、前に読んだ時と同じものが出てくる(当たり前なんですが)にもかかわらず大笑いです。でも、これ、実は前と同じだからこそ、安心して笑っている部分もあるような気がしています。「あ、あれが出るぞ〜。ほら、やっぱり出た〜!」みたいな感じです。そもそも、何度見てもおもしろい絵だったり、何度見ても見飽きない動きだったりすれば、絵本自体にそれだけの魅力があるということですよね!^^2021.08.05 21:50
多読 ish札幌の魚住です。私が「多読」に出会ってから早いもので15年くらいになりますが、教室ではほぼ同時期から他のメソッドをメインにしているため、「多読」はサブ的な形で取り入れています。そのせいか、「多読」という言葉を使う度にどうも腰が引けてしまっていました。「多読と言うほどのことはしていないし…」「そんなにたくさん読んでもらっていないし…」仲間の先生にもうるさがれるくらい、ついつい口癖のように言っていました。邁進する先生達の中にあって、「多読」をしていると大きな声で言う自信がなかったのです。そこにコロナ禍で、世の中がどんどんオンラインのメリットを有効に使っていく中、私は疲労感が増してオンラインから離れ気味になり、何となく取り残されていくような孤独感を味わっていました。体調不良とも闘い、精神的にも焦りながら、自分がさらに「多読」から離れていくのを感じていました。今は対面で授業ができるようになり、やっと紙の本を読んでもらえるようになって、心底ほっとしています。ただでさえ中途半端、そしてコロナ禍の日々。「多読」って何なんだろう?と考えてしまっていました。今これを読んでくださっている皆さんの中にも、もしかしたら私と同じような感覚をお持ちの方が3人くらいはいるかもしれない(笑)と想像して、今これを書いています。私の自信「自信がなかった」と書きましたが、私の場合、それは英語そのものについても同じでした。中学校で初めて英語を知り、海外経験もなく、習った英語しか知らない私がなぜか英語教室を始めて10年以上も経った頃のことです。始めた当時2、3歳だった子ども達が残ってくれて中学生になろうとしていました。教わった英語は教えられる。でも、それは私がやりたかったことと何か違う。ネイティブの胸を借りれば英語で会話ができるのに、自分は子ども達に胸を貸せる自信がない。なぜ?そして、やっと、「易しい英語」の意味に気づきました。 易しい英語は、教科書で習う英語じゃない! 英語圏の小さな子どもが触れる英語だ!という、当っっったり前のことに。そのタイミングで偶然「多読」と出会い、衝動的に本を買い集め始めました。もともと読書も苦手で大人の本が読めないので(笑)、子どもが読む本にはまったく抵抗無し!超易しい英語の本を読みまくりました。そして、読むほどに、私にはこれが足りなかったんだ!という喜びが押し寄せてきました。今では、自宅の一室である教室は壁2面半が本棚で埋まり、カラフルな背表紙が日常の景色になっています。・習った英語しか知らない。・英語を使う機会がない。・かと言って勉強もしない。・海外経験がない。・読書しない。・洋画観ない。・洋楽聴かない。の七拍子(?)揃った、じゃあどうして英語やってるの?な私にとって「多読」との出会いは、英語のリアルな日常を、幼児に戻って体感することでした。リハビリに時間はかかりましたが、英語が足元からふんわりとたっぷり溜まっていきました。脳にしかなかった英語と、足下から溜まっていった英語が繋がって、格段に落ち着きがよくなりました。子ども達との英語でのインタラクションも楽に、そして楽しくなりました。そう、多読は、もともと私自身の自信のためでした。2021.03.09 00:07
がんばらないオンライン多くのエリアで緊急事態宣言が解除される中、私が住んでいる札幌では全国的に見ても未だ厳しい状況が続いています。そして、全国的に見てもかなりゆるめの英語教室であるマジカル・ポケットも、2月末からの長いお休みを経て、GW明けから遅ればせながらオンライン授業を始めています。もともとうちの教室では、英語を「教える」「覚えさせる」ことはなく、自分で学び続けるための「英語の語感づくり」を一番の目的としています。たとえば、数ヶ月自転車に乗らなくてもまたすぐ乗れたり、久々に泳いでも泳げたりするように、この子たちの「語感」もすぐに消えたりしないから大丈夫、せっかくだからちょっと休ませてあげよう!くらいに呑気に構えていました。でも、4月半ば、2回目の休校が決まったあたりで、「会えない」期間の長さに私の方が耐えられなくなったのです。オンライン授業、事始もし、会えない期間が3ヶ月限定とわかっていて、6月には「お久しぶり〜!」と三密で遊べるよ、本も読めるよというのであれば、きっとオンライン授業は考えなかったでしょう。私は、パソコン自体はヘビーユーザーですし、スカイプは使っていましたし、Zoomのアプリも入れてはいましたが、正直オンライン授業なんて考えたこともありませんでした。でも、そんな私もやっと重い腰を上げ、GW直前に保護者にアンケートを取り、GW前半に家庭ごとにZoomの通信テストをし、後半には子どもたちに操作をしてもらってクラスごとにテストしました。具体的なことは何も決めずに、「できたね〜!」「会えたね〜!」のGWでした。そして、テストを終えたクラスから「授業」をスタートしましたが、そこでどっと疲労感が。。。年齢のせい?コロナの第2波で不安と疲労がたまっている上に、年度替りのあれこれも重なり、保護者の方との連絡にも明け暮れ、3月以降は時間に余裕ができるどころか公使共に超バタバタ。そこに、オンライン授業。うちのような小さな教室でもこうなのですから、全国でテレワークを強いられている皆さんはどんなに大変な思いをしていることでしょう。と、やっと気づいた私でした。何がしたいの?私の教室では、多読はメインではありませんが、小学生には主に読み聞かせ、中学生(英語歴によっては小6)からはCDを使った自力読みをサポート、高校生には完全に自由に読んでもらう時間を作っています。借りて帰る子はごく少数で、多読というよりは「読書」のお手伝いをしている感じです。オンライン授業を始めるにあたり、自分の中の最大の疑問は、果たして「読書」はできるのか?ということでした。まず思いついたのは、ほとんど使ったことのなかったeBook。使ってみると、手に持つのと違って揺れもブレもせずに、むしろ画面だけに集中してもらえます。レベル分け、ジャンル分けもされていて、検索も簡単。いろいろ目を通して、面白そうなものを選んでおけます。授業では、いつも通りみんなでツッコミを入れ、発見をして楽しめています。でも、なんだろう?何か、自分の中でしっくりこないものがあるのです。この疲労感はどこから来るんだろう?手際の悪さや通信状態のストレスを差し引いても、何か自分の中で納得できない何か。私は、何がしたいんだろう?2020.05.08 21:50