私の読み聞かせと多読(その1)がんばって読書していた頃

東京のきっぱ、こと、鈴木祐子です。

スイーツの街・自由が丘で、小学生、中学生、高校生、社会人が対象の、多読と読み聞かせの教室を主宰しています。


わたしは、今でこそ絵本も読書も大好きなのですが、もともとは本好きではありませんでした。


そんなわたしが多読や英語絵本にハマった経緯を2回に分けて紹介しようと思います。


0.プロローグ

1.洋書(ペーパーバック)をがんばって読むも続かない

2.がんばらないで愉しめるから続けてしまった

3.読み方が変わった

4.多読も読み聞かせも読書


以下、長文ですので、適度に読み飛ばしていただければありがたいです。


0.プロローグ

本当に洋書を読めるようになるの?


かつてわたしが抱いていた疑問です。


「“がんばらない多読”を実践して、果たして本当にペーパーバックを読めるようになるのだろうか?」


※ ペーパーバックとは、Harry Potter(J. K. Rowling著)のような、章立ての構成で挿絵の無い本、または挿絵の少ない本のこと


皆さんはどう思われますか?


「はい、 ペーパーバックを読めるようになりますよ。うちの生徒たちは読めるようになっていますよ。」


とわたしはいつも応えています。

なぜならそれが事実だからです。


・・・ですが。

そう応えながらも、何だかモヤモヤするのです。


「いや、でも、多読ってそういうことじゃないんだよなぁ…」


「何かもっと伝えなければならないことがあるような・・・」



1.洋書(ペーパーバック)をがんばって読むも続かない

ペーパーバックを読めるようになりたい


以前のわたしは、ペーパーバックをさらっと気楽な気持ちで読むことはできませんでした。


読み始めると、必ず途中で眠くなってしまい、めったに読み終えることができなかったのです。たとえ読み終えられたとしても、必死に眠気と闘いながら、“がんばって” 読み終えていました。


ペーパーバックを、辞書を引かずに、無理せずに “がんばらないで” 愉しめるようになるなんて、わたしにとっては夢のまた夢でした。


「そもそも、和書でさえあまり読まないのだから。だから分厚い本は読めないんだ。」


その頃のわたしは、そう自分に言い訳をしていました。


でも、和書なら分厚くても興味があれば読めたのですから、この言い訳は論理的に破綻していました。


そこで、こんどは、自分の英語力の無さを責め続けました。


「やっぱりペーパーバックが読めないのは、英語力がまだ足りないからだ。


英語力があればペーパーバックは読めるに違いない!


あぁ、ペーパーバックを一度でもいいから読んでみたい!!」


と、おそらく、こんな風に “ペーパーバックの呪縛” にわたしは囚われていったのではないかと思います。


がんばって読んだ結果・・・


学生時代にシドニィ・シェルダンの本を初めて読了した時は、もちろん(笑)途中で何度も寝ました。


読み終えたとき、「読了した!」という満足感はありましたが、洋書を読めるようになった、という実感は得られませんでした。


今思い返すとかなり “がんばって” 読んでいました。


その後、同シリーズを数冊読んだものの、いつのまにか洋書を読まなくなりました。

しかし、ペーパーバックこそ読まないものの、なにかと英語に触れる生活は送っていました。


たとえば、社会人になってからは英語の資料を読まなければなりませんでした。

アメリカで暮らしているときは、アメリカ人とランチへ出かけて話しましたし、大学でマーケティングの授業を受けにいくとテキストもディスカッションも英語でした。

子どもが産まれてからは、育児情報を得るためにネットや雑誌は自ずと英語のものを読むことになりました。英語のニュースやドラマも視聴していました。


テキトー人間ですから、わからないところをすっ飛ばすことにはすぐに慣れて、さして苦労はしていませんでした。


これだけ英語に触れているのだから、そろそろ、ペーパーバックを読めるようになっているのではないか?そのくらいの英語力は身についているよね?とあるとき、思ったわけです。


英語のテストで、特に勉強していないのに高得点が取れたことも私の背中を後押ししてくれました。


※ ただし・・・多読を始めてから知るのですが、TOEIC満点でも、英検1級でも、大学の英文科を出ている人でも、ペーパーバックを読めない人はたくさんいるんです。

そんなこと、その頃の私はまだ知る由もありませんでしたが。


とにかくずっと、わたしは、「ペーパーバックをさらっと読んでみたい」という呪縛に囚われていたのだと思います。


そして、いよいよ、挿絵が少しある、薄めのペーパーバック『The Wonderful Wizard of Oz』(オズの魔法使い、L. Frank Baum著)を手に取りました。


すると、どうでしょう。


「書いてあることばの意味や表現はすべてわかる!」


よし!(ガッツポーズ)


けっこうおもしろい!


これはイケル、読める!



途中で止めたら、自分の負け?


何章まで読んだのでしょう。

気づいたときは夢の中・・・。

そのときの自分への言い訳は。


「疲れているから寝ちゃったんだ。」

「バスの中で読んだからだ。」


でも、さすがに、“元気なときに読んでも寝ちゃう”という事態が何度も続くと、いよいよ自分が情けなくなってきました・・・。


「ことばは全部わかるし、しかも書かれている文も面白いと感じているのに、なぜ寝ちゃうんだろう?」


多読を始めてから出会った人の中にも、似たようなことを言う人を何人も見かけました。


「この本、おもしろいです。

でも、疲れてたから、寝ちゃって最後まで読めなかったんです。

だからまた借ります。(読みます!)」


そうなんです。

この状態になると、人ってその本を読むのをなかなか諦められなくなるんです。


わたしは、結局、2か月くらい『The Wonderful Wizard of Oz』を読んでいました。


「途中で読むのを止めたら、一生涯、洋書を読めるようにならないのではないか?」


と不安にさいなまされていましたし、


「途中で止めたら、(わたしの)負けだ!」


と自分を鼓舞し、なんとか読了しようと意地になっていました。


わたしは“がんばって”読んでいました・・・


日本語の本だと読書を途中で止めてもそんなこと思わないのに・・・

不思議ですよね。


でも、さすがに毎度のように寝てしまうと、多読でペーパーバックを読めるようになった先輩たち(タドキストの方たち)とは違う状態であることに気づき、ようやく読むのを止めました。


(つづく)


※ 本記事のつづきは、「私の読み聞かせと多読(その2)気づき」(12月12日公開予定)


本記事は

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文:鈴木祐子(きっぱ)

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