「よくわからないこと」が連れて行ってくれる先


素朴な疑問再び
 2020年3月、小中高校の休校措置で子ども達に突然降ってきた"いつもと違う毎日"。これが思ったより長い。その様子を聞くと、宿題プリントがごっそりあって、「なんか勉強増えた」という声も。それも尽きると、あとはスマホやタブレット、パソコンやテレビを利用していろいろとやっている様子、いつもよりスクリーンを観る時間が長くなっているんだろうなあと心配したりします。

 しかし、親御さんもこの緊急事態をなんとか乗り切ろうと様々な工夫をされておられます。どうかそれが功を奏しますようにと願いながら、私も何か役に立てないものかと思案する日々でありました。



 そして、「やはりここは"本"でしょう」と、なるわけです。書店では児童書や学習参考書の売り上げが急増、"休校特需"なる現象が起きているそうで、「言われてみると、本読みたい…」とありました。

 本を読む→英語の本を読む、「なんで母語じゃなくて外国語で本を読むんだ?」という素朴な疑問がまた浮かんでしまいました。前回のブログで少し顔を出していたあれです。理由なんかいらないと言われればそれまでですが、実はことあるごとに浮かぶんです、これが。浮かんでくるものは仕方がない。

 私の場合は、ただ英語が好きだから少しでも長く触れていたいという簡単な理由ですが、教室へやって来る子ども達の顔が浮かんで、「好きも嫌いもない、ほとんど英語なんか知らない子ども達までそんな事態になっているんだよなあ。。」と、ふと考えてしまうわけです。





よくわからないこと
 「人は確実なものよりも、不確実な賭けの方に興奮する」という件を脳科学者、中野信子さんの本で読みました。脳の仕組みや遺伝子の都合でそうなると解説されていたのですが、以来このことが自分の中でいいように解釈され「"よくわからないこと"が人を突き動かす原動力になっているんだ」と度々思い起こすようになりました。

 文字をある程度読める子どもたちが外国語の絵本を見るとき、そこにある文章は「よくわからない」、それでも絵本の絵は子どもたちの注意を引き付けてくれるので、想像力さえあれば自分の世界と本の世界を重ねて楽しむことは出来ますね。



そしてその先
 これが、「全くわからない」のではなく、「少しはわかるんだけど、、」というところが絶妙な仕掛けなんです。絵の魅力で読書を継続出来れば"楽しい"  "面白い"が続き、それがワクワクになり、そのうち「よくわからない」ところをもっと知りたいという「好奇心」が出て来る。

 完全にわかっていることに好奇心は芽生えないものです。この好奇心こそ、「よくわからないこと=不確実性」に反応して人を動かす原因。ということは、この好奇心を呼び覚ますために「よくわからない」状態があえて必要なんだ、となります。


 よくわからない→不確実なことに興奮する→想像を掻き立てられる→確かめたい!=好奇心


 そして、『連鎖的に起こる好奇心を満たすことが勉強だ』と言ったのは小説家の出久根達郎さんですが、"勉強"とは本来そういうもので、煙たがられるようなものではないと私は思います。自分からやりたいと思っていないのにやらざるを得ない勉強は、おおかた不幸な結果を招いてしまいますから、どうせなら子どもたちには幸せになる勉強をやって欲しいと思うわけです。

 つまり、
「よくわからないその先で芽生えた好奇心は、幸せに向かう勉強をするための動力である」
ということになりますね。

 さて、上手い落とし所が見つかったところで今回は幕引きです。

 最後にもうひとつだけ。
肝心のそこに書いてある英文の意味はいつ知ることになるのでしょう。中学、高校の授業で習った時にはたと思い出して気付くのでしょうか、それとも気付かずにそのまま通り過ぎるのでしょうか。


 いずれにしろ、言葉の意味だけではなく、文章の行間にある大切な何かを受け取るには人生を積み重ねていくしかありません。私にも43年経ってようやく受け取れたことがあったように。。。。






文:Toyoko Hayashi
神奈川県 川崎市

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