早くも暑中お見舞い申し上げます🍧
川崎市からToyokoです。
このあっつい💦中、ふと考えました。
がんばらない多読があれば、がんばる多読もある。
でも、しあわせな読み聞かせはあっても、ふしあわせな読み聞かせ、ってあるのかなあ?
川崎市からToyokoです。
このあっつい💦中、ふと考えました。
がんばらない多読があれば、がんばる多読もある。
でも、しあわせな読み聞かせはあっても、ふしあわせな読み聞かせ、ってあるのかなあ?
しあわせな読み聞かせ
たとえば想像しやすい場面として、おばあちゃんが孫に絵本を読んで聞かせるとき、そこには技も組み立てもないとして、とりあえず目の前の本を目の前にいる子に向かって読む、そんな状況でもおばあちゃんは "上手な読み手" になっているわけです。
たとえば想像しやすい場面として、おばあちゃんが孫に絵本を読んで聞かせるとき、そこには技も組み立てもないとして、とりあえず目の前の本を目の前にいる子に向かって読む、そんな状況でもおばあちゃんは "上手な読み手" になっているわけです。
聞いている孫の気持ちは多かれ少なかれ、 "しあわせ“ みたいなものを感じているはずですから。そしておばあちゃんも、孫との貴重な時間をしあわせだと感じていることでしょう。
実際は、上の〈おばあちゃん〉と〈孫〉は、おじいちゃん、お母さん、お父さん、お兄ちゃん、お姉ちゃん、おばさん、おじさん、子ども、大人、etc. なんでも入れ替え自由です。
つまり、しあわせな読み聞かせとはそういうことで、もしこれを教室でやるとしても、読み聞かせのスキルとか技とか、コツとか知識とか、目的とか、そんなものはなくて、ただ目の前の生徒さんに「読んであげたい」と思う気持ちこそが大切なわけで、どんどんやればいい。
講座には行かないけど
実際は、上の〈おばあちゃん〉と〈孫〉は、おじいちゃん、お母さん、お父さん、お兄ちゃん、お姉ちゃん、おばさん、おじさん、子ども、大人、etc. なんでも入れ替え自由です。
つまり、しあわせな読み聞かせとはそういうことで、もしこれを教室でやるとしても、読み聞かせのスキルとか技とか、コツとか知識とか、目的とか、そんなものはなくて、ただ目の前の生徒さんに「読んであげたい」と思う気持ちこそが大切なわけで、どんどんやればいい。
講座には行かないけど
では、そうではない読み聞かせ、つまりスキルも技もコツも知識も、もしかしたら目的も、そういったものが必要になる読み聞かせはあるのでしょうか。あったとしたらそれを “ふしあわせな読み聞かせ" と呼ぶのでしょうか。それとも、もはやそれは "読み聞かせではない" と思ってしまうでしょうか???
世の中には "読み聞かせ講座"と呼ばれているものが実際あって、私も沢山参加しました。その時は、「教室で読み聞かせをする読み手には、それ相応の "なにか" =スキル・技・コツ・知識・目的みたいな何か=が必要」と無意識に思っていたからだと思います。少なくとも、寝る前に子や孫に読んであげたくて、わざわざ講座料を払って電車に乗ってまで足を運んでいたわけではありません。
とは言え、様々な講座やワークショップのおかげで、私自身にとってはとてもしあわせで充実した気分を持ち帰ったことは確かです。講座から持ち帰ったものは、その後の読み聞かせで何かしらの効果になったかもしれないし。。。🙄
でも、やっぱり私は "しあわせな読み聞かせ" のためだけなら講座には行きません。
講座には行かないけれども、誰かに読み聞かせてもらったり、たまには自分が読み聞かせてみて、そこにいる人たちと「あーだよね〜、こーだよね〜」とお話が出来れば、今までなかった発見があったり、自分の中でもっと気持ちが盛り上がったり、それを今度はお気に入りの人たちに伝えたくなって、じゃあ身近なところで教室の子どもたちに読んであげよう、と私はなります。
このブロググループではそんな機会をもっと広げたいねー、と言う話になっています。そしてオンラインということで細かい制約があるため、どうやったら実現できるかみんなで考えています🤔
「読んでみた」by 読み手
そこでは、おばあちゃんの読み聞かせのように、ただ読んであげたいからという気持ちで読めばいいんじゃないかなーと思っています。技もコツも意識して使うのではなく、読んで体験して、それを繰り返すうちに "読み手" として出来てくる気がします。私が持つそのイメージはStorytellerというようなものではなくて、今でいう "歌い手" と呼ばれる人たちみたいなイメージです。歌いたいから「歌ってみた」そうそう、読んであげたいから「読んでみた」です。
このブロググループではそんな機会をもっと広げたいねー、と言う話になっています。そしてオンラインということで細かい制約があるため、どうやったら実現できるかみんなで考えています🤔
「読んでみた」by 読み手
そこでは、おばあちゃんの読み聞かせのように、ただ読んであげたいからという気持ちで読めばいいんじゃないかなーと思っています。技もコツも意識して使うのではなく、読んで体験して、それを繰り返すうちに "読み手" として出来てくる気がします。私が持つそのイメージはStorytellerというようなものではなくて、今でいう "歌い手" と呼ばれる人たちみたいなイメージです。歌いたいから「歌ってみた」そうそう、読んであげたいから「読んでみた」です。
それでも、歌い手たちの歌は何度も聴きたくなるあのクオリティ。おばあちゃんの読み聞かせもそうなりたいものです😆
だから、こっそり笑、練習はするかな。。。聞いてくれる人に楽しんで欲しいから。
結局、ふしあわせな読み聞かせがあるのかないのか???答え合わせは出来ませんでした。
でも、
とにかく読んであげて、「もう一回読んで」って言って欲しいので、そのためにどんどん読むことにします。
文:Toyoko Hayashi
神奈川県 川崎市
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